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日本の退職金は、江戸時代に三井(現在の三越=三井グループの元祖)ではじめられた〈のれん分け〉にその起源を探ることができます。当時、店で働いていた奉公人の年季が明け、独立して店を持つ際の手助けとして、三井家が現物支給で渡していた〈のれん〉がそもそもの発祥というわけです。それが、時を経るうちに現物から独立援助資金(いわゆる〈のれん代〉)に代わり、やがては長年の奉公への報奨としての退職金が貢献への慰労・恩賜的な意味合いで支給されることになりました。
これが、明治維新以後、会社組織としての商業発達が促進されるなか、一方で熟練労働者の転職・中途退職を防止するために、長期勤続の奨励策として機能するようになりました。その支給額についても、年功を基本とする功労報奨的な面と、事業主からの恩恵的給付という両面からの算定による支給が一般に行われてきました。他方、新卒定期採用、定年退職という概念が私企業において曖昧であったため、若手従業員を採用して企業の人的「新陳代謝」を図るために高齢従業員に心地よく退職を促す有効剤として退職金が機能していたことも事実です。
こうした労働慣行としての退職金が制度化されるのは戦後になってからで、先述の新卒定期採用、定年退職(終身雇用)の一般化に伴い次第に定着が進み、経営者と労働組合との労働協約、就業規則への明文化というかたちでこれまでの恩恵的なものから、労働者の権利へと昇格を遂げ、支給額についても事業主の恣意的な按分から、支給基準が明確に示されるようになります。経営者にとっては「(自発的に)あげていたもの」から「必ず支払わなければならない」月例賃金と同じ意味を持つ労働条件の一つになってしまったわけです。
当時の退職金の計算は「退職時の基本給×勤続年数別支給係数」を採るのがほとんどで、支給額が勤続年数に比例して逓増していくようになっていました(この計算式は今も多くの中小企業でそのまま採用されているケースが多いようです)。昭和30年代からの高度経済成長によって従業員の基本給は上昇の一途を辿り、当然のことながら退職金の算定額も増えてきています。
しかし、同時に従業員の勤続固定化・長期化もあって多くの定年退職者がすぐには出てこなっかたために、賃金支払いに比べて経営者の費用認識が遅れた点は否めません。これに加えて、労働者側からも上昇する物価を睨んで老後の生活保障との新たな視点での要求があったため、経営者は現在支払っている給与・賞与を増額して従業員が自分で将来に向けて貯蓄するというかたちを選ばず当面の企業費用化を抑えるために、退職金計算式の支給係数を上げて将来の退職金増額を約束し、会社が従業員の老後生活保障を援助するという形を選択してこの要請に応え、ここで退職金の内包する「恩賜報奨」、「後払賃金」、「老後生活保障」の3要素が出そろったことになります。
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